deahiro’s blog

ネットの場末で、ひっそりと。。

『MSよもやま話 Zガンダム編 』の事。

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Zガンダム
トランスフォーマブルモビルスーツ(TMS)の黎明期に、
ロールアウトしたMSにも関わらず、洗練された可変機能で、
人型とウェイヴライダー形態を両立したMSである。
 
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Zガンダムの開発に、文字通り『社運』を賭けていた。
莫大な費用を投じて開発したGPシリーズガンダム群が、
デラーズ紛争』により、『無かった事』になったのは、
AE社にとって、大打撃であった。
 
そして、連邦軍(主としてティターンズ)が、
ガンダムマーク2という
『次世代ガンダム』を開発する。
このままでは、MS開発の主導権を、
連邦軍に奪われかねない状況であった
 
 
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この危機的状況を打破する為に、
AE社は、数多くの高名なMS開発者達に、
ガンダムタイプMSの開発を依頼した。
 
テム・レイ博士の右腕と呼ばれ、
事実、初代ガンダムの外装、武装を開発した
テム・レイ博士は主としてジェネレーターとメインフレーム開発)
重鎮 K・O・ガワラ博士。
 
百式リック・ディアスハンブラビキュベレイを開発した
異端児 M・ナガノ博士。
 
後のZZガンダム開発チームリーダー
巨漢 M・コバヤシ博士。
 
イプシィガンダムを開発した、
モデラー オダマサン教授。
 
AE本社会長室室長。元MSV開発リーダー
名人 カワグ・チ・メイジン。
 
シロッコメッサーラ開発に協力した、
新星 K・ズミ・フジタ博士
 
AE社の本気度も分かるというものだった。
ただ、チームNUE所属
トランスフォームの開拓者 K・ワモリ教授には、
AE社は一切依頼しなかったという。
 

しかし、Zガンダムの最終的なコンセプトは、
若干17才の民間人、後のZガンダムパイロット
カミーユ・ビダンの発信というのが、
歴史の皮肉を感じる。笑

宇宙戦艦アーガマ所属の
チーフエンジニア『アストナージ・メドッソ』は、
K・ズミ・フジタ博士と、月面のコペルニクス工科大学で、
同じゼミの親友同士であった。
アストナージは、カミーユ・ビダンのコンセプトが、
ムーバブル・フレームによるトランスフォームに対して、
ブレイクスルーになる物と直感し、
フジタ博士に打診したのである。
 
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また、Zガンダム宇宙世紀至上、
最も商業的に成功したガンダムタイプMSであると言える。
ガンダムと言えば「ワンオフ」の機体であるという事が
その特徴の一つである。
その時代の最高峰の技術を詰め込んだ、
フラッグ・シップ機という感がある。
 
そのガンダムで培った技術の大量生産廉価版を搭載した機体が、
ジムであり、ジェガンという形式が当てはまる。
だが、ガンダムというビジュアルのままで、
ある程度の機体数をZガンダムは量産したのである。
  
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Zプラス(量産型Zガンダム)は、
アナハイム・エレクトロニクス社を、かなり潤したと、
まことしやかに、ウワサされている。
 
Zプラスは、後にAE社の屋台骨を支えたと言われる(笑)
『H・カトキ博士』の処女作と言える。
 
また、Zプラス開発チームの総括リーダーであり、
メラニー・ヒューカーバイン会長ですら一目置く人物である
AE社のボンバーマン(爆弾男)『ア・サノー・M氏』
Zプラスセールス・プロモーションも注目に値する。
 
 
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ベルトーチカ女史』と共同戦線を張り、
当時、カラバに所属していたレジェンド・MSパイロット
アムロ・レイをZプラスに搭乗させる事に成功し、
Zプラス自体に箔を付けた。
 
『Z乗り』という言葉も、連邦軍内で自然発生した。
 
Zガンダムの40%の価格で120%の満足度という意味合いで
『40!?120!!!』
(フォーティー?ワンハンドレッドトゥエンティー!)
というキャッチコピーの下、Zプラスは高セールスを樹立した。
 
 
 
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またZガンダムと言えば、
やはり、カミーユ・ビダンの愛機という印象が強烈にある。
かなり、エキセントリックでナイーブなNTパイロットである
カミーユ・ビダンは、愛機『Zガンダム』共に、
動乱の『グリプス戦役』を、
文字通り『蒼い流れ星』のごとく、駆け抜けた。
その、生き急ぐ17歳に赤い彗星は何を感じたであろう。